死神の浮力のこと

 

死神の浮力

死神は『情報部』から知らされた対象者を一週間調査して死ぬべきか見送るべきか決める。

ただし、罪を犯しての極刑、病死、自殺は管轄外。事件事故、または災害などの不慮の死が対象。

死神たちはミュージックが好きで、音楽の聴けるレコード屋などに集まる。

 

 「良心がないんだ」という言葉に対して両親がいなければ子供は生まれないと真面目に考えて「なるほど、クローンというやつか」と返したと思えば参勤交代について「懐かしい」だとか「悪くないシステムだった。今もやればいい、やる予定はないのか?」など風変わりな発言ばかりする男。それがこの話に出てくる死神で、実際に大昔からずっと人の死の可否を審判してきたわけで、少しずれてて、ただそれがおかしくも恐ろしくも感じるキャラクターだった。

 

元々「死神の精度」っていう短編集が好きだったから「お、新作あったんだ」って軽く読もうとしたのにすっかし熱中してしまい一日で読んでしまったよ。伊坂さんのこの題材が救いもなく暗いのに少しポップで最後には完璧なハッピーエンドじゃないけど救いを残してくれる感じのお話がめちゃくちゃに好き。

 今回だって娘を殺された夫婦がずっと一年間ずっと苦しみ悶えて生きて、捕まった良心のかけらも持ち合わせていないサイコパスの犯人が裁判で無罪になる所から話が始まる。どう考えたってどん底だ。そんな所に調査のためにとても真面目に仕事をこなす死神の千葉がやってくる。他の死神たちが対象者をろくに調査することもせずにすぐに「可」と報告していくのに対し、千葉は一週間よりそい、きちんと仕事をこなし見届ける。でも人間に同情したり、感傷的なることもなく、ただただ淡々としており、ほとんどの場合は千葉は死を見送ることはしない。そのあたりが人間たちと死神の死生観の違いであって価値観の違いを見せ付けられるような気持ちになる。

 ただ人間サイドの山野辺夫妻は怖ろしいほどに人間で、もろく、弱く人間臭く悩みながら娘を殺した犯人に対しての復讐を始めるわけで、その二人の復讐に同行することになる千葉はいつもと同じように飄々と人間を理解しようとはせずに付いてくる。価値観の違いが不思議な関係をつくっていく感覚が読んでいてじわじわと伝わるようで楽しい。

 

 話の途中で「復讐するは我にあり」という言葉がでてくるんだけど、この我は自分の事ではなく神様のことで「復讐するのは神のすることなのであなたはまっていなさいよ、神にまかせなさいね」という感じの意味なんだよね。そんな大きな力にまかせてられるほど寛容な心をもっていいられるのか、不寛容に対して寛容は不寛容になるべきかなどすごく葛藤を覚えるシーンが印象的だった。不寛容は寛容を容赦なく、躊躇いを微塵も見せずに傷つけるけど、その時寛容ができるのはあまりにも少なくてあまりにも弱いけど、それでも人間は寛容であるべきなのか。私はそんな寛容になれないかもしれないなと思う。でもさ、寛容でありたいよね。それは今自分に余裕があるから言えるんだろうけど、その時が来るまではせめて寛容でありたいなと思う。そういうのって希望じゃないかな。

 ああ、あと私は伊坂さんの描く父親像がどれも好きなんだけど、今回も山野辺くんの回想でちょこちょこ出てくるお父さんがすごくよくて、最後は泣いちゃったよね。重力ピエロのお父さんもそうだったけど、最後はさ子供を救ってくれる父親っていうのは文字にすると陳腐でありきたりだけど、すごく魅力的で、素晴らしい要素だなあって思う。誰だって誰かに救われたいし救いたいんじゃないかな。それが面倒くさいことでも、そういうのが人間くさくていいよね。

 

面白かった。次は何を読もう。

 

死神の浮力 (文春文庫)

死神の浮力 (文春文庫)

 

 

 

死神の精度 (文春文庫)

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